日本の歴史を振り返り 第4回 山形編
武生
こんにちは、武生校のA氏です。
さて、「日本の歴史を振り返り」第4回は「山形編」です。
数多くいる山形地域出身の偉人の中から今回取り上げるのは、「齋藤茂吉(さいとう もきち)」です。
生徒の皆さんや保護者の方々にとっては、「昔、国語の教科書やテスト問題で見たことがある人物だ。」という印象ではないでしょうか。
明治から昭和初期にかけて活躍した歌人で、代表的な歌には次のものがあります。
みちのくの 母の命を一目見ん 一目見んとぞ ただにいそげる
※ みちのく・・・「陸奥」と書く。現在の東北地方。
※ 見ん・・・見たい
31歳のとき、東京にて医科助手として働いていた斎藤のもとに母危篤の知らせが入り、斎藤は薬を持って故郷の山形に向かいました。
また次の作品も有名ですよね。
のど赤き 玄鳥(つばくらめ)ふたつ 屋梁(はり)にゐて 足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり
※ 玄鳥・・・つばめ
※ 屋梁・・・現代では「梁」と書くことが多い。伝統的な日本家屋の屋根裏近くに水平方向に這わされた木材。
このように読む人の心に深く突き刺さる歌を遺している斎藤ですが、実はかなりの食いしん坊だったそうです。
特に好きだったのがウナギ。
戦時中の物資が不足していた時代でさえも、事前に購入していたウナギの缶詰を食べていたそうです。
とにかく食べ物に関する興味関心は高かったようで、みそ汁の具材としてネギを入れるかどうかで長時間悩んだというエピソードもあるくらいです。
なんとも微笑ましいエピソードですね。
精神科医としての仕事の傍ら、歌人としても活躍した齋藤茂吉。
その精力的な活動を支えていたのは、もしかしたら「ウナギパワー」だったのかもしれませんね。
私も、今年の夏はしっかりとウナギを食べて、生き生きと仕事をしていければと思う今日この頃です・・・。