●日本の歴史を振り返り● 第9回 群馬県
武生
皆さん、お久しぶりです。育英センターのA氏です。
今回取り上げるのは、群馬エリアの偉人・新田 義貞[にった よしさだ]です。
【新田 義貞】
・生誕年不明、死没年1338年(室町時代前夜の南北朝時代初期)
・新田氏は源義家の孫・義重が現在の群馬県域にあたる上野国の新田荘に土着した豪族
・後醍醐天皇[ごだいごてんのう]の呼びかけで鎌倉を攻め、幕府を滅ぼす
・幕府を倒した後、朝廷側(後醍醐天皇側)から足利尊氏[あしかがたかうじ]が離反し、尊良[たかよし]親王と恒良[つねよし]親王に伴って越前国に移り、足利尊氏に対抗しようとした
この名前を聞いて「聞いたことがあるぞ。」と思った小学生や中学生の人は、かなりの歴史好きと言えるかもしれません。
新田は、鎌倉幕府が倒れ、室町幕府が成立し、朝廷が南北にわかれたころに歴史の表舞台で躍動した武将です。
由緒正しい「清和源氏[せいわげんじ]」の嫡流で、後醍醐天皇や足利尊氏と共に鎌倉幕府を滅ぼしたことで有名な人物です。
その後、後醍醐天皇に裏切られそうになりますが、それでも後醍醐天皇の側について越前国に拠点を移し、越前から勢力を盛り返そうと奔走します。
当時、越前国府があった武生も戦いの舞台のひとつになったとされています。
新田は足利派と敦賀や武生、そして現在の福井市エリアの「足羽七城」などで戦いを重ね、最期は1338年に藤島[ふじしま]のあたりで討たれたとされています。
新田を討ったことで、足利尊氏は征夷大将軍に任じられ、室町幕府を開きます。
新田義貞は1300年代の福井の歴史だけでなく、当時の日本の歴史においても最重要人物の一人なのです。